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名古屋高等裁判所 昭和27年(う)733号 判決 1952年9月24日

控訴人 検察官 羽中田金一

被告人 渡部武正 弁護人 桜井紀

検察官 片岡平太関与

主文

本件各控訴はいづれも之を棄却する。

理由

検察官羽中田金一及弁護人桜井紀の各控訴の趣意は本件記録に編綴の各控訴趣意書と題する書面記載の通りであるからここに之を引用するが之に対する当裁判所の判断は次の通りである。

検察官の控訴趣意第一点について

原判決及起訴状を査閲すると原判決はその事実摘示末尾において論旨摘録の如く司法警察員市川正幸に対する暴行の手段として「矢庭に手を以て同人の背部を突き云々」との事実を認定しており、起訴状訴因の部にはその外「同人の頭部を殴打し云々」の事実を記載しておることが明白である。而して原判決が証拠に引用している証人市川正幸の原審における供述につき原審第二、第四回公判調書中の同証人の供述記載の内容を審査するとこの事項につき同証人は「後方から背部を突かれたので振り返ると手で頭部を殴りかかつて来たが私が身体をかゞめたので頭をかすめた丈である」旨供述していることが明白であり同証人の第一回第二回の供述を通じての何処の部にも所論の如く頭部を殴打された旨の供述記載はない。尤も手を以て人を殴打せんとしたところ被害者の機敏な動作による避難の為その頭部をかすめたに過ぎない場合においても、もとより相手方の自由に対し不正な影響を与え、その自由行動を阻害する作用を為す以上この種の行為は公務執行妨害罪の構成要件たる暴行と解し得べきことは論を俟たないところであるが、被告人のこの行為は原判決認定の暴行と併せて行われたものであることが明かであるから、原判決が右の行為を罪となるべき事実として認めなかつたとしても所論の通り些も犯罪の成否に影響はなく又この一事のみを以てしかく刑の量定に影響があるものとは認められないから原判決には毫も所論の如き判決に影響を及ぼすべき事実誤認があるとは云へないのでこの論旨は採用しない。

同上第二点について

原判決及起訴状を査閲すると本件は司法警察員が現行犯人を逮捕せんとするに際り被告人がその職務執行を妨害する為暴行を為したと云う公務執行妨害罪につき公訴を提起され、原審は審理の結果概ねその訴因を認めて所論の如く被告人に対し懲役六月の刑を科していることが明かであるが記録を精査し、原判決挙示の証拠その他原裁判所が取調べた証拠の内容を具さに検討しても斯かる犯罪事実に対する量刑としては原審の科刑は相当であつて之をしかく軽きに過ぎるものと認むべき資料は存在しない。所論は被告人が根強い思想的政治的意慾に基く反権力闘争の意図を有し本件が其の極めて危険な意慾に基く計画的犯行であることは被告人の所持品中「中核自衛隊の組織と戦術」及メモの記載内容に論旨摘録の如き記載があることによつて明白であり被告人は是等日本共産党の指令に基き中核自衛隊を組織し名古屋市内における各種非合法宣伝活動にからみ計画的に暴力による反権闘争を遂行しようとしていた事が窺われ、結局被告人の本件犯行は日本共産党の非合法活動指令に基く計画的積極的犯行であつてその犯情及犯罪後の被告人の態度から見て情状酌量の余地なき悪質犯であるから須らく検察官求刑の懲役二年の刑を科すべきである旨縷々陳述しておるけれども論旨に指摘するが如き行為が具体的に刑罰法規に触れる形を以て具現され之を処罰の対象と為し得る場合は格別本件の如き公務執行妨害の事実のみを捉えて処罰の対象と為す限り論旨は些か肯綮に値せず本件犯罪の成立要件並その犯情とは直接関係のない所論の如き事情を量刑の主たる資料とすることは出来ないからこの論旨も亦その理由がない。

弁護人の控訴趣意について

記録を精査し原判決挙示の証拠の内容を検討すると原判決挙示の証拠の信憑力を疑う資料はなく、充分信認し得る是等証拠により原判決認定の事実を肯認するに足るから原判決には所論の如き事実誤認の違法はないのでこの論旨も理由がない。

仍て本件各控訴はいづれもその理由がないので各刑事訴訟法第三百九十六条により之を棄却することゝし主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 深井正男 裁判官 小林登一 裁判官 山口正章)

検察官羽中田金一の控訴趣意

第一点原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼしている事が明かである。

一、原判決は(罪となるべき事実)の末尾に於て認定した被告人の司法警察職員市川正幸に対する暴行の態様として「矢庭に手を以て同人の背部を突き云々」と判示しているが被告人の暴行は単に市川巡査部長の背部を突いたのみでなく、更に振り返つた同人の頭部をも殴打しているのであつて、この事は同証人の明言しておるところであり(記録四〇丁以下)公訴事実中にも明記されてある。

二、もとより本件公務執行妨害は被告人が市川巡査部長の背部を突いた事と頭部を殴打した両暴行を一個の行為と認定すべきものであるからその一暴行を看過する事が直接犯罪の成否に関するものではない為、有罪無罪の問題は生じないにしても「頭部の殴打」という明瞭且つ積極的な攻撃の存否は犯罪の情状に重大な関係を持ち刑の量定に著しい影響を及ぼす事が明らかである。原判決が被告人に甚しく軽きに失する懲役六月の言渡をした理由の一は此の点に存するものと思料される。

三、原判決は前記市川証人の証言を採つて被告人に有罪の言渡をしているのであるが同証人の証言中右の「被告人より殴打された」との部分を措信しない事につき何等納得するに足る証拠説明を与えていない。之を以て見れば原判決は此の点に於て右証拠の検討粗漏にして事実を誤認したものと断ぜざるを得ない。

第二点原判決は刑の量定著しく軽きに失し不当な判決である。

一、本件被告人は根強い思想的政治的意慾に基く反権力闘争の意図を有し、本件が其の極めて危険な意慾に基く計画的な犯行である事は被告人の所持品中証拠物として提出された証第六、七、十号の指令書メモ及手帳の記載により極めて明瞭である。その中証第六号「中核自衛隊の組織と戦術」と題する指令書には明かに日本共産党の指令として武装の準備と行動を指示すると共に中核自衛隊なる武装行動隊により警察職員等の権力機関を暴力により襲撃する事を命じて居り証第十号の被告人自筆と認められるメモ及手帳中には「自衛隊」「自」「班」「ヒケ」なる文字が散見し被告人が前記指令書に基き中核自衛隊を組織し名古屋市内に於ける各種の非合法宣伝活動にからみ計画的に暴力による反権闘争を遂行しようとしていた事が窮われ、特に二月二十日小林多喜二祭に名古屋城附近にビラ貼り計画があつた事も認められる。而して前記市川証人の証言によれば同証人が名古屋城電停附近で所謂反米ビラ(証第一号)を貼布した者を昭和二十五年政令第三百二十五号違反現行犯として逮捕すべく追跡中突如被告人が之を妨害する為暴行を加えたものであつて被告人の行動は党の指令を具体的に計画実践したもので其の動機たるや悪質にして極めて危険性の大なるものと謂わねばならない。

二、検察官は此の点を更に一層明かにする為同様被告人の所持文書中の前記「中核自衛隊の組識と戦術」に先行する党の指令書と認められる「抵抗自衛組織の強化と軍事委員会の当面の活動について」及び「結語」の二文書の取調を請求したのであるが原裁判所は之を却下している。その理由は記録上必ずしも明瞭でないが弁護人が之等の立証事実たる冒頭陳述に対し「関連性がない」と意見を述べた事によるものと一応判断されるが検察官より関連性ありとして取調請求のあつた被告人所持の証拠物を一片の弁護人の意見のみにより之が取調を躊躇するは真実探究に余りにも臆病な態度と言わねばならない。取調べた証拠中関連性のない場合は之に対し排除決定をすれば足りるもので本件審理に於ける原裁判所の態度は誠に隔靴掻痒の感無きを得ない。この為本件が前記の如く深い背景と予謀の下に行われた悪質なものである事を軽視した結果を見るに至つたものと思われる。此の点酔漢が誤解に基いて職務質問の警察職員に暴行した類のものとは根本的に異つた事案であるから此の点冷静厳粛な態度を以て罪質を見極めねばならない。

三、本件被害者は現行犯人を追呼していたものである。凡そ治安確保の為最も緊要なるは犯罪者の検挙及処罰である事は言うまでもない。当夜の情報によれば名古屋市内では相当計画的な違法行為と更に之が予防鎮圧検挙に当る警察職員に対して集団的な暴行が目論まれていたものである(市川証人の証言記録四三丁)。此の様な険悪な状況の下に危険を冒し身を挺して犯人検挙に当る司法警察職員に対し計画的に暴力を以て之を妨害する行為が法治国家に於て如何に悪質にして国民に不安を生ぜしめるものであるかは、論ずる迄もない事である。而も本件被告人は市川巡査部長に暴行を加える事によつて犯人を逃走させるの目的を達している。法の執行を妨害した被告人に対しては法は厳粛にその責任を追及すべきものである。

四、本件被害者たる市川巡査部長は周到な心構えにより沈着機敏に行動した為比較的軽微な被害を受けたのみで身体傷害にまで至らなかつた事は不幸中の幸であつたが此の為被告人の責任を軽視する事は単に事件の皮相のみを見た近視眼的判断と言わねばならない。舗装された道路、ビルディングの街角に於ける差迫つた状況下の暴行が如何に身体生命の危険を胎んでいるか又此の種の根強い計画的犯行が如何に治安に害を及ぼし国民に不安を与えているかを深く洞察すべきである。此の点より見て被告人の責任は重大と言わねばならない。

五、被告人は現行犯人として逮捕されたものであるに不拘終始黙否、又は犯行を否認し或は証拠物を嚥下して証拠を湮滅しようとし警察及検察庁に於ては勿論、裁判所に於てすらも誠意ある弁解説明をなさず自己の曖昧な供述を覆うに不遜[イ尼]傲の態度を以てし自己所持の証拠物に対してすらも「全然関係のない事だ」と遁辞を弄し(記録九十二丁)毫も改悛の情が認められない。之は被告人が著しく遵法精神を欠如している事を示すもので此の種の者に対しては厳粛な法の適用によつて法の尊厳を自覚せしめなければならない。

叙上の如く被告人の本件犯行は日本共産党の非合法活動指令に基く計画的積極的犯行であり其の犯情及び犯行後の被告人の態度より見て全く情状酌量の余地のない事案と謂わねばならぬ。

本件検挙以後の日本国内の治安情勢は被告人の所持した日本共産党指令書の記載そのままを具現し国民に重大な不安を感ぜしめていることは周知の事実である。此等の諸点より見て本件被告人に対しては克く一罰百戒の実を挙げる意味に於て検察官求刑の如く懲役二年に処するが相当であるのに之に対し僅かに懲役六月を科した原判決は刑の量定著るしく軽きに失する不当な判決であるから速かに之を破毀し更に相当な裁判あるべきものと思料し本件控訴の申立をした次第である。

弁護人桜井紀の控訴趣意

原審判決は被告人が名古屋市中警察署巡査部長市川正幸の昭和二十五年政令第三百二十五号違反現行犯人を逮捕するのを妨害する目的で同人の背部を突き以て同人の職務執行を妨害した事実を認めているが、

一、被告人が右巡査部長を背後から突いたとしたならば同人は当時犯人追跡の為の疾走中であり、物理的に云えば同人は転倒すべかりしにも不拘同人は直ちに振りかえり何をするかと云つた旨を供述しているのは暴行の事実を疑はしめるものであり又同人の証言の信憑性を疑わしめるものである。

二、原審証人森田外二郎の証言に依れば右巡査部長は右証人に対して被告人を挙動不審で逮捕しようとしたら抵抗しようとしたので逮捕した旨を述べたと供述しているに徴しても被告人が司法警察職員の犯人を逮捕するのを妨害する目的で右巡査部長の背をついたと言うことには大いに疑のある処であり、又原審証人笠井節雄の同証人に対して右巡査部長が訊問したら殴りかかつて来たので逮捕した旨を言つたとの証言に徴しても同様である。

以上の点より被告人に公務執行妨害行為のあつたことが疑わしいのに不拘之を認めた原審判決には承服し難い。

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